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2015 フィルム講座 大正3年対昭和9年 14

平成26年度「長井の心を育む推進事業」で公開した写真を取り上げる。

長井のまちには、その歴史の中で様々な建物があらわれては消えを繰り返してきた。現存しているものもあれば消えてしまったものもある。その時々の人々の暮らしを彩り、時代を形どってきた建物等を、大正3年・昭和9年の時間軸周辺でご覧いただく。

 

公共建築物等の大正3年と昭和9年

 

     大正3年の地図

 

大正3年は長井線がようやく長井駅まで通り、電気もようやく通電された年だ。前出の役場や学校等の公共建物等の他は、あまりない。地図の「長井税務署」は郡役所東に位置し、写真は見つかっていない。山形県蠶業取締所はカイコを指導と取り締まる県の出先で、大正3年の町勢要覧に掲載された写真は下記に。

 

 

明治31年、本町に長井検査所が設置されるが、その後事務所は転々とした。明治35年には舟場、明治38年に「蠶病予防事務所」と改称、明治39年には西置賜郡会議事堂に移転、明治40年に「蠶業取締所」と改称、明治41年には十日町大正倶楽部に、そして大正2年、ようやくこの場所に落ち着いた。

 

 

合資会社長井倉庫の写真。業務内容はわかっていない。

 

 

         昭和9年の地図

 

 

 

昭和9年の町勢要覧に掲載された「長井税務署」の写真。前身は明治26年12月1日、「長井収税署」として西置賜郡役所東に設置されたもの。明治27年には「長井税務署」と改称。上記写真は西置賜郡役所の南側にあった「初代西置賜郡会議事堂」の跡地に昭和4年、新築移転した。開庁式は昭和4年3月10日。

 

昭和9年の町勢要覧に掲載された「長井繭市場」の写真。これは大正15年7月1日に「長井産業株式会社」を「有限責任長井繭市場信用販売購買利用組合」と改称したもの。前身は大正11年1月に「長井産業株式会社」だが、この名称も改称した、という記録があるが、おおもとの名称はわからない。長井産業株式会社時代の建物写真がある。

 

これは大正14年の町勢要覧掲載の「長井産業株式会社」。

 

 

長井初の自動車学校「山形県太陽自動車学院」。昭和2年に設立、昭和3年に新校舎を竣工している。昭和2年10月、バス運営会社・昭和自動車の階上につくり、運転手を養成した。長井橋河原に1,000坪の練習場をつくり、1期15人の養成を目指した。撮影は昭和3年7月。入口に「○○公認太陽○○」とある。職業学校法令に基づく正式な認可も受けている。

 

写真は残念ながら昭和29年以降、長井市となってからの「長井市消防署の写真。この建物は大正9年に栄町(現あやめ交番あたり)に建設、昭和46年まで使用された。建物の北側には「火の見櫓」があって、昼夜監視にあたっていた。

 

 

 

昭和9年発行町勢要覧掲載の写真。「米沢区裁判所出張所」は大正7年に設置された。

 

 

昭和9年の町勢要覧掲載の写真で「長井農業倉庫」。長井駅前通りの現JA長井出張所の場所。農協発足後は農協の米倉庫として使用された。

 

 

 

 

 

2015.04.13:[歴史的建造物]
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