長井古写真物語 24 東分校
長井市文教の杜に保管されている古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み込みます。
この写真は、致芳小学校東分校です。撮影は昭和41年。致芳小・中学への渡船通学が廃止され、11月1日からスクールバス通学に変わったと同時に、東分校が廃止されました。
東分校の歴史は、明治14年に森小学校として開校したことが始まりで、大正2年に致芳尋常高等小学校が創立され「東分校」となりました。このとき、本校の高等科に渡船通学したのは4人で、このときが渡船通学の始めです。以来、昭和41年まで53年間続きました。
写真の校舎は、大正6年に建築されたもので、地区民の文化施設としても集いの場、心の交流の場として親しまれてきました。
致芳地区は、最上川で川西地区と川東地区に二分されており、川東地区の森と東五十川の児童生徒は、小学1年生から4年生までが東分校に、小学5年生以上は川西地区にある小中本校に渡船通学していたものです。64人乗りのスクールバスは、朝2回午後3回運行、143人が利用しました。
(トップ写真は文教の森コレクションのガラス瓶です)
この写真は、致芳小学校東分校です。撮影は昭和41年。致芳小・中学への渡船通学が廃止され、11月1日からスクールバス通学に変わったと同時に、東分校が廃止されました。
東分校の歴史は、明治14年に森小学校として開校したことが始まりで、大正2年に致芳尋常高等小学校が創立され「東分校」となりました。このとき、本校の高等科に渡船通学したのは4人で、このときが渡船通学の始めです。以来、昭和41年まで53年間続きました。
写真の校舎は、大正6年に建築されたもので、地区民の文化施設としても集いの場、心の交流の場として親しまれてきました。
致芳地区は、最上川で川西地区と川東地区に二分されており、川東地区の森と東五十川の児童生徒は、小学1年生から4年生までが東分校に、小学5年生以上は川西地区にある小中本校に渡船通学していたものです。64人乗りのスクールバスは、朝2回午後3回運行、143人が利用しました。
(トップ写真は文教の森コレクションのガラス瓶です)
2014.02.04:[歴史的建造物]