長井 古写真物語12 堤塘記念絵葉書
長井市文教の杜に保管している古写真を紹介します。一枚の写真から情報を読み取ります。
これらの写真は、絵葉書を写したもので記念スタンプが押されているものを集めてみたものです。スタンプには、「提塘記念」「山形懸」「長井町」「41.10.17」の文字と中央に国旗と長井の文字を入れた旗がデザインされています。提塘とは、堤防などを築くことですが、どこなのかわかっていません。野川や白川が考えられますが、洪水に頻繁に襲われている時代でした。ほかにも、絵葉書が存在し、「長井町諏訪堰」「西置賜招魂碑」があり、いずれも同じスタンプが押されています。明治41年10月に存在した絵葉書であることはまちがいありません。
西置賜郡役所
長井町野川橋
長井町宮公園
長井町松ヶ池公園
西置賜郡役所:明治11年築ですから、およそ30年経った後の姿です。門や玄関のテラス等大きな変化は見受けられません。
野川橋:これは現在の場所の野川橋ではなく、あやめ公園東側を通る南北の道に架かり、長井町と成田を結ぶ橋でした。成田側から撮影した写真で、当時の町民の姿が映っています。
長井町宮公園:現在のあやめ公園高台の写真です。あやめ公園と言われた年は明治43年です。それまでは、宮公園と呼ばれていました。
長井町松ヶ池公園:松ヶ池公園と呼ばれたのは明治29年。それまでは小出公園と呼んでいました。同年に花作地区の七兵衛つつじの古木の一部を譲り受け、移植しています。すべての古木を譲り受けた年は明治43年で、このころから「つつじ公園」の名を用いるようになりました。宮のあやめ公園創設と同じ年となります。しかし、この写真には不思議な点があります。それは、右側に写っている記念碑です。つつじ公園の西南角からの撮影で、明治39年に建立された砲身をかたちとった青銅製の「西置賜招魂碑」です。その左側に写っていなければならない石碑がないのです。それは「征清記念碑」で、明治28年にすでに建立されています。日清戦争の記功碑ですが、写っていないことがミステリーです。謎を秘めた写真ですね。