長井市 広報マンが写した半世紀7 あやめ100周年記念版
明治43年に長井市あやめ公園が産声をあげる。ここ文教の杜に収蔵されている写真とデータから、平成22年に開園100周年を迎えたあやめ公園に係る資料を交えて紹介。
(提供:文教の杜ながい/長井市/歴代広報マン/長井市年表昭和46年発行)
■坂の上と坂の下 あやめ公園東の道路 長井町宮から成田へ抜ける旧街道だった 野川の侵食で段差がついている奥が坂の下 坂の下には茶屋等があり 米沢から荒砥へ通ずる宿場としてにぎわった
■湯殿山への道しるべ ここが北へ行く主要な道路だったことがわかる 現在は總宮神社の南東に
■象の見世物 高台中央に總宮神社社務所がありドンタク場といわれ いろんな見世物がかかった 天竺渡り生大象とある (明治20年頃) 明治24年7月4日には柔術乱取手踊等の興行かかる 以降長期の常設小屋はこのころから
■松ヶ池公園 通称白つつじ公園 つつじ公園と呼ぶようになったのは銘じ43年から 明治39年大砲の砲身を立てた西置賜招魂碑が立つ 左側には松ヶ池が まだ松の木は小さい 松ヶ池が掘られたのは明治17年から18年にかけて 松も (明治41年の絵葉書から)
■宮公園 横町總宮神社西の高台 (明治41年の絵葉書から)
■古い時代の野川橋 北から望む もちろん木橋だ 人々の衣装に時代感が この橋を渡るとあやめ公園東側の道路に至った (明治41年の絵葉書から)
■金田勝見の茶屋 高台下に湧く清水を使い茶屋を開き あやめを植えた その3年後の明治43年にあやめ公園の始まりを迎える (明治40年頃)
■開園記念碑1 金田かすみ(柳号)の業績を讃えて 当時個人の顕彰はまずいのではとの話も 川柳の大家3人の句が本人揮毫のまま刻まれている (昭和12年)
■長井停車場通り 鉄道が長井までつながり祝賀の人出 同時に電灯も燈る (大正3年11月)
■屋形舟 池に浮かぶ舟 夕涼みの優雅な祝宴 酔い心地はさぞかし風流だったろう 着色した写真を絵葉書にしたもの なかなかクール (大正10年頃)
■県一記念碑1 熱狂の人気投票で158,723票を集め 名所の部で山形懸一賞に輝き記念碑を建立 当時は碑の上に燈具がのっていた (昭和5年8月)
■碑の銅版 記念の銘板は当時の県知事窪田治輔が揮毫したもの
■県一碑2 上に丸い燈具がついていたが後になくなって久しい (昭和10年頃)
■県一碑遠望 この写真にも丸い電灯がついている 公園の南西から望む (昭和10年頃)
■グリーンホール 公園南の池のそばに建ったグリーンホール 3階建てのモダンなつくり (昭和8年)
■あやめ会館 高台南に建っていた 下は売店2階は宴会や休憩所に 北斗会が建設 初代あやめ会館は民間経営だった (昭和8年)
■人口滝完成 宮地区のまちづくりに活躍した実業家7名(北斗会)によってつくられた この滝は現在のあやめ会館前に見ることが出来る (昭和10年)
■宮内町の菊花園 公園づくりでは影響を受けた 奥の山には野生の菖蒲が自生 (昭和10年)
■東海林太郎 「恋のぼんぼり」発表 蓄音機ができて流行歌がもてた 写真右下にサインが (昭和10年)
■開園記念碑2 除幕式 当時全国的に知られた川柳の大家 井上剣花坊・近藤飴ン坊・大谷五花村の川柳が刻まれている 右から3人目が大谷五花村 (昭和12年)
■あやめ復活 中央十字路北にあった料亭三清の前に建てられたあやめ公園復活の案内看板 (昭和23年)
■記念の桜 公園は戦時中あやめを掘り起こし芋畑になった 野川堤防にある桜並木はあやめ復興の記念樹 昭和23年に植栽
■明治神宮から分譲 戦後公園復興で安行や東京明治神宮からあやめの苗をいただいた (昭和23年)
■サーカス 毎年サーカスがやってきた 大きなテントをどうやって組み立てたものか (昭和30年代)
■あやめの先生 日本花菖蒲協会のご一行来園 この時長井古種が発見された 長井古種とは「ノハナショウブ」と「現在の花菖蒲改良種」の中間に位置する希少種 (昭和37年7月)
■アドバルーン ビール瓶が浮いている 宣伝効果は抜群 堤防に植えられた復興記念桜はまだ細い
■モデル撮影会 夏場はモデルさんもさぞかし大変だったでしょう (昭和35年から始まる)
■八つ橋 八つ橋でくつろぐお客 向こうの石の上には子供の兄弟が (昭和50年頃)
■開園70周年 記念に長沼孝三作モニュメントを設置除幕された (昭和56年6月19日)
■ドイツ姉妹都市交流 バートゼッキンゲンのお客様が来園
■あやめポスター1 原画は長井高等女学校の浦とし先生 和服姿の作 (昭和8年)
■あやめポスター2 長沼孝三作のポスター 菖蒲が尚武という文字に (昭和13年)
■あやめポスター3 長井のハンサムガイがお待ちしています と (平成11年)
■独立国紙幣 井上ひさしの吉里吉里人で各地に独立国が誕生した 500フローラ紙幣 あやめ公園で使われた (昭和58年)
■あやめの女王 昭和51年からミスあやめコンテストが始まった 昭和61年の第11回で幕を閉じた ミスあやめはいろいろな観光キャンペーンで大活躍
■あやめ公園駅 民間の力でフラワー長井線に新しい駅が誕生した (平成14年6月9日)
2013.07.16:[歴史的建造物]